今、詩が静かなブームだそうですね。何かどことなく不安で、落ち着かない現在ですが、秋の夜長に、詩を味わいながら、人生を振り返ってみるのはいかがでしょうか。

 

I was born   吉野 弘

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 

ある夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと、青い夕霞の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げにゆっくりと。

 

女は身重らしかった。父に気兼ねしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し、それがやがて、世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 

女はゆき過ぎた。

 

少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は<生まれる>ということが、まさしく<受身>

である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

―やっぱりI was bornなんだね―

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

―I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね。―

その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこのことは文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

後略

日本語も英語も受動態であるということ。そんな日本語から『天からの授かりもの』という言葉が死語になっていくのは寂しい気がしませんか。授かった子どもは親の愛情を一心に受けて育ちます。

 

雛祭りの日に 谷川俊太郎

娘よ―

いつかおまえの

たったひとつのほほえみが

ひとりの男を

いかすことも

あるだろう

そのほほえみの

やさしさに

父と母は

信ずるすべてをのこすのだ

おのがいのちを

のこすのだ

 

思春期になって、いろんな恋をします。


 

僕はまるでちがって 黒田三郎

僕はまるでちがってしまったのだ

なるほど僕は昨日と同じネクタイをして

昨日と同じように貧乏で

昨日と同じように何にも取柄がない

それでも僕はまるでちがってしまったのだ

なるほど僕は昨日と同じ服を着て

昨日と同じようにのんだくれで

昨日と同じように不器用にこの世に生きている

それでも僕はまるでちがってしまったのだ

ああ 薄笑いやニヤニヤ笑い

口をゆがめた笑いや馬鹿笑いのなかで

僕はじっと眼つぶる

すると

僕のなかを明日の方へとぶ

白い美しい蝶がいるのだ

 

 そして二人は結婚します。

 

祝婚歌  吉野 弘

二人が睦まじくいるためには

愚かでいるほうがいい

立派すぎないほうがいい

立派すぎることは

長持ちしないことだと気付いているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい

完璧なんて不自然なことだと

うそぶいているほうがいい

二人のうちどちらかが

ふざけているほうがいい

ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても

非難できる資格が自分にあったかどうか

あとで

疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは

少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは

相手を傷つけやすいものだと

気付いているほうがいい

立派でありたいとか

正しくありたいとかいう

無理な緊張には

色目を使わず

ゆったり ゆたかに

光をあびているほうがいい

健康で 風に吹かれながら

生きていることのなつかしさに

ふと 胸が熱くなる

そんな日があってもいい

そして

なぜ胸が熱くなるのか

黙っていても二人にはわかるのであってほしい

 

せっかく恋をし、結婚するのです。心の中の白い蝶をいつまでも忘れないような、恋をし、こんな結婚でありたいと思います。しかしやがて別れがきます。

 私の好きな短歌を思い出します

いつかふたりになるためのひとり

やがてひとりになるためのふたり

レモン哀歌  高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待って

かなしく白くあかるい死の床で

わたしの手からとった一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱっとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉に嵐はあるが

かういう命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

昔山巓でしたような深呼吸を一つして

あなたの機関はそれなり止まった

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光るレモンを今日も置かう

 

最愛の妻をなくす場合もあれば、夫を失う場合もあります。

 

悲しめる友よ  永瀬清子

悲しめる友よ

女性は男性よりさきに死んではいけない。

男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない。

男性がひとりあとへ残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するであろうか。

聖書にあるとおり女性はそのとき必要であり、それが女性の大きな仕事だから、あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。だから女性は男より弱いものであるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、様々に考えられているが、女性自身はそれにつりこまれることはない。

これらの事はどこの田舎の老婆でも知っている事であり、女子大学では教えないだけなのだ。

 

 愛する人に先立たれる悲しみを背負うにせよ、先に死ぬ幸せに恵まれるにせよ、人は生まれてきたのと同じように、一人で旅立たねばなりません。

 

幻の花 石垣りん

庭に

今年の菊が咲いた

 

子どもの時

季節は目の前に

ひとつしか展開しなかった。

 

今は見える

去年の菊。

おととしの菊。

十年前の菊。

 

遠くから

まぼろしの花たちがあらわれ

今年の花を

連れ去ろうとしているのが見える。

ああこの菊も

 

そうして別れる

私もまた何かの手にひかれて。

 

 そういえば、この世で知っている人より、向こうの世界で会いたい人の方が多くなった時、人は死を迎えると聞いたことがあります。そんな死ならば良いのですが…。

 多くの場合、年をとるごとにすべてが衰え、やがて死を迎えます。
 

 

羊の歌  中原中也

T祈り

死の時には私が仰向かんことを

この小さな顎が、小さい上にも小さくならんことを

それよ、私は私が感じ得なかったことのために

罰されて、死は来るのものと思うゆ

ああ、その時私の仰向かんことを!

せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

 死の瞬間にしか全てを感じられないにしても、こんな生き方をしてみたいと思いませんか。


河上 肇

古い友人が新たに大臣になったといふ知

らせを読みながら

私は牢の中で

便器に腰かけて

麦飯を食ふ。

別に人をうらやむでもなく

また自分をかなしむでもなしに。

勿論ここからは一日も早く出たいが、

しかし私の生涯は

外にいる旧友の誰とも

取り替へたいとは思はない。