詩の特集165

一年ぶりです。二度あることは三度ある。三度目の詩の特集です。  

秋といえば、定番。ヴェルレーヌの有名な歌から、

落葉
 (上田敏訳)

秋の日のヴィオロンの
ためいきの身に染みて
ひたぶるにうら悲し

鐘のおとに胸ふたぎ
色かへて涙ぐむ
過ぎし日のおもひでや

げにわれはうらぶれて
ここかしこさだめなく
とび散らふ落ち葉かな

落ち葉になり、入れ歯をする私達も、しかしこんな恋愛をした時もありました。

君に似し 姿を街に見る時の

こころ躍(おど)りを あわれと思へ     石川啄木

 恋愛は誰もを詩人のようにします。  

石膏   清岡卓行

氷りつくように白い裸像が

僕の夢に吊されていた

その形を刻んだ鑿の跡が

僕の夢の風に吹かれていた

悲しみにあふれた僕の眼に

その顔は見おぼえがあった

ああ

君に肉体があるとはふしぎだ

(中略)

きみは恥じるだろうか

ひそかに立ちのぼるおごりの冷感を

僕は惜しむだろうか

君の姿勢に時がうごきはじめるのを 

迫ろうとする 台風の眼の中の接吻

あるいは 結晶するぼくたちの 絶望の

鋭く とうめいな視線のなかで

石膏の皮膚をやぶる血の洪水

針の尖で鏡を突き刺す さわやかなその腐臭

石膏の均整をおかす焔の循環

獣の舌で星を舐め取る 清らかなその暗涙 

ざわめく死の群の輪舞のなかで

きみと宇宙をぼくに一致せしめる

最初の そして 涯しらぬ夜


 結婚して赤ちゃんができます

そむかれむ日の悲しびをうれいつつ

百日(ももか)に足らぬ子を抱くなり       新井 洸

 あの美しい妻も子供が出来てこんな姿になってきます。

一と抱え(ひとかかえ)あれど

柳は柳かな  不詳

 一抱えでも、二抱えでも動かなくなっても、それはそれで幸せです。しかし家族が一つの家で暮らすのはそう長い間ではありません。

親子四人テレビをかこむまたたくま
その一人なきとき到るべし 上田三四二

またつらく厳しい日も多いのです。

正しく守る  伊藤 和

いつでも私達は苦しかった

ほそぼそと二人は相寄って

ひとしれず憂鬱の夜を悩んでいた

それ故 あの若さはやつれはて

そんなにも 生活を悲しんだ

妻よ

―それはどうしようすべもない

ありとあらゆる苦しい中にいて

正しく守ることはいくじがないか・・・・・

人はかずかずを心に秘め

そして私達も笑うであろう

けれども

結局 彼達も悩むのだ

私達はだまっていよう

この世は矛盾したことばかりだ

妻よ ふたり相寄って

この心をなぐさめよう

 

 そんな時でもこんな気持になれたら少しは心が晴れるにちがいありません。

掘っても掘っても土はあり 秋の空はあり  江良碧松

 朝起きて夜に寝る。そんな日常の中にもいろいろなことが起ります。

日常茶飯  黒田三郎

たまたまそのときそこに

居合せたというだけのことで

ひとりの人間が死ぬ

ふたりの人間が死ぬ

いや それは

ひとりやふたりだけのことでは

ないかも知れぬ

アパートの風防の破片が頭上に落ちてく

オート三輪が歩道に乗り上げる

毎日の新聞をよくよんでごらんよ

眠っている間に古いガス管からガスがもれる

横丁から走り出た犬が突然かみつく

いや それは

ガスや犬ぐらいのことではないかもしれぬ

 

ひとりの実直な中年の会社員が

毎朝きまった時間に家を出る

きまったように公園のかどを曲がり電車に乗り

きまった時間に会社の自分のいすに座る

何か変ったことの起る気配は何もない

給料が突然三倍になるなんて

そんなことは金輪際起りっこないのだ

 

一杯の茶をすすりながら

給料日まであと何日と胸算用をし

きまったように一枚の新聞紙をひろげる

世のなかのすべてのひとがよむように

彼もそこによむ

「たまたまそのときそこに

居合せたというだけのことで」死んだひとのことを

 

他人の不幸を

いや 事件のニュースを

さまざまのニュースを

原爆をつんだ飛行機がイギリスの基地から飛び立ち

四六時中とんでいるというニュースを

彼はよみ それからきょうの仕事を

きのう止めた所からきのうと同じように始めるのだ

 
そして私達はだんだんと老年へと向かっていきます。それは多くの人の死と向かい合うことになります。

 

ポロリ、ポロリと死んでゆく 中原中也 

ポロリ、ポロリと死んでゆく。

みんな別れてしまふのだ。

呼んだって、帰らない。

   なにしろ、此の世とあの世だから叶はない

今夜(いま)にして、俺はやっと覚るのだ、

白々しい自分であったと。

そしてもう、むやみやたらにやりきれぬ

(あの世からでも、俺から奪へるものでもあったら奪っってくれ)

 

それにしてもが過ぐる日は、なんと浮はついてゐたことだ。

あますなき惨めな気持である時も

随分いい気でゐたもんだ。

(おまへの訃報に遇ふまでを、うかれていたとはどうもはや)

 

風が吹く、

あの世も風は吹いてるか?

熱にほてったその頬に、風をうけ、

正直無比な目で以て

おまへは私に話したがってるのかも知れない・・・。

―その夜、私は目を覚ます。

障子は破れ、風は吹き、

まるでこれでは戸外(そと)に寝てるも同様だ

 

それでも俺はかまはない。

それでも俺はかまはない。

  どうなったってかまはない。

なんで文句を云ふものか・・・・。

 

そして自分自身の死も近づいてきます。

八木重吉は、「どこか本当に美しいものはないのか」と歌い、佐藤春夫はこう歌いました。

願ひ  佐藤春夫

大ざっぱで無意味で

その場かぎりで

しかし本当の

飛びきりに本当の唄をひとつ

いつか書きたい。

神様が雲をおつくりなされた気持ちが

今わかる。

 

おっかさんが

あの時 うたってきかせたあの

子守唄を

そっくりそのまま思ひ出したい。

その唄は きけば

おっかさんももう知らない

どうもでたらめにうたったらしい。

どうかして生涯にうたひたい

空気のような唄を一つ。

自由で目立たずに

人のあるかぎりあり

いきなり肺腑にながれ込んで

無駄だけはすぐ吐き出せる

さういふ唄をどうかして一つ・・・・・

 

 そして中島みゆきは死をこう歌いました。

永久欠番   中島みゆき

どんな立場の人であろうと

いつかはこの世におさらばをする

確かに順序にルールはあるけど

ルールには必ず反則もある

  街は回ってゆく 人一人消えた日も

  何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと

 

一〇〇年前も一〇〇年後も

私がいないことでは同じ

同じことなのに

生きていたことが帳消しになるかと思えば寂しい

街は回ってゆく 人一人消えた日も
何も変わる様子もなく 忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなどいないと風は吹く
愛した人の席がからっぽになった朝もうだれも座らせないと

人は誓ったはず
でも その思い出を知らぬ他人が平気で座ってしまうもの

どんな記念碑も雨風に削られて崩れ

人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう

だれか思い出すだろうか

ここに生きてた私を

 

一〇〇億の人々が

忘れても 見捨てても

宇宙(そら)の掌の中 人は永久欠番

宇宙の掌の中     人は永久欠番